MIDIピアニスト石田誠司の日誌より〔石田誠司/2001〕
2001年9月23日
昨日は初めてアンサンブルフロイントの練習にお邪魔してきた。ずっと以前にメールで教えていただいた道順を頭に入れて、歩いて行ってみたら、会場がウチからあんまり近いんで笑ってしまうほどだった。ふぅん、こんなマンションの一階に、小さいながらもホールがあるとは。こりゃ僕らのリコーダーのコンサートにも使えるかも知れん。
それはともかく、6時からと聞いていたが、集まりの出足はあまり早いとは言えず、団員がぼつぼつ揃って指揮者のタクトが下りたのはすでに7時近かった。この日はビオラが僕を含めて4人、チェロが1人だったのが途中から二人になっていたかな。ヴァイオリンが最終的には7、8人いたのか。あと管楽器が何やかや合わせて6、7人だったと思う。小さ目の編成だが、しかし、皆さんなかなかうまいので、十分に、やってて楽しい響きがしていた。
そういう中で、僕はというと、楽器は調整に出してあったが、人間の調整の方がさっぱりで、そもそも左手をひねるビオラ演奏の格好が、長いこともたないのだから話にならない。ビオラを弾くのは2年ぶりぐらいにはなろう。それでよくもまぁ、あんな曲目をあつかましく弾いたものだ。何しろモーツァルトの27番ピアノコンチェルト第一楽章に始まり、チャイコフスキーの「悲愴」第一楽章、ブルッフのバイオリン協奏曲、そしてベートーヴェンの「第九」の第一楽章である。全曲、初見ときたものだ。もう落ちる落ちる(アンサンブルの最中に難しくて弾けなくなってしまい、しばらく入れないでいることを「落ちる」といいます)。何しろ僕は大学を卒業して以来、一度もアマチュアオーケストラに所属したことがないから、やったことのある曲数が、そもそもたかが知れているのである。
当然ながら、ほとんどの奏者のかたとも指揮者の小西さんとも初対面だったが、みなさん当たり前のように僕を受け入れてくださった。小西さんの指揮は、とても弾きやすかった。指示も明快だし、振りかたにパッションがある。ほとんど止めないが、棒から言いたいことがよく伝わってくる。ときには指揮台から降りて、奏者の目の前にまで出てきて振ったりされていた。それに導かれて皆さんがとても音楽的に弾かれるのに乗って、下手くそな僕だが、とても気分よく弾かせて(あるいは雑音を出させて)もらった。
そうそう、まだ書いたことがないと思うので書いておこう。このオーケストラはほんとに面白いところで、ただただ音楽演奏が楽しくやりたいという人たちの集まりなのである。つまり、あらたまった定期演奏会というのをやらない。「毎回が練習、毎回が演奏会」という精神なのである。だから、団員に対して、「練習=演奏会」への出席もまったく強制されないし、それどころか、団費の納入に関してすら、団員の自主性に任されているのだそうだ。言わば、あらゆる点で、普通のアマチュアオーケストラとは一線を画す・・・というか、普通のアマチュアオーケストラの面白くない面に対する、思い切ったアンチテーゼから出発しているのである。
指揮者の小西さんという人が、団員から全幅の信頼を置かれていて、その日に何の曲をやるかすら小西さんの一存で決まるというのも、その一つであろう。「民主的」な「選曲会議」など、やらないのである。実際、あれは「民主的」なようでいて、団の中に権謀術数が渦巻き派閥を作ってしまう元凶になってしまったりするものなのだ。しかも貴重な時間やエネルギーが空費される。だいたい、クラシックの曲なんて、どの曲も、やればそれぞれに面白い名曲揃いなのであって、「指揮者がやりたい曲をやらせておけば、いちばん面白く音楽がやれる」と割り切っているのは、実に賢明な考え方だと思う。昨日だって、「団長」のOさんすら、「今日は何を弾くことになるのか」をまったく知らなかった、というだけでなく、予想すらつかなかった。実は、僕は、練習前に、ちょっとでもさらっておこうと思って「今日の傾向と対策は・・・?」とOさんにたずねたのだが、それで「予想」として教えてもらった3曲ほどが、見事に全曲「外れ」だったのだから、愉快ではないか。
そして、「定期」演奏会はないが、「この曲は、最近(の数か月〜数年間)しばしば演奏して、その結果、これだけ楽しく弾けるようになったんだから、聴きたい人には聴いてもらいましょう」ということで、ときたま、「練習の公開」のような感じで無料の「演奏会」をしたり、録音してCDを作ったりする。これも、アマチュアの音楽の楽しみ方として、じつに理想的な形だ。そう、「演奏発表は絶対にやらない」というのも、何だか意固地すぎるであろう。そのへんのスタンスが、じつに無理がなくて、まったく惚れ惚れするほどである。
何度か挟まれた休憩のとき、僕は一人でタバコを吸いに外に出た。そうそう、学生のときも、休憩のたびにタバコを持って練習場の外に出たものだったよなぁ。学生のころは、いつも西田を含む数名がいっしょに、何やかやと立ち話をしながら一服やっていたが、フロイントにはスモーカーはほとんどいないらしく、タバコを吸いに出ていたのは僕だけだった・・・。
2001年10月8日
アンサンブル・フロイントの合宿というのに(3日間あるうちの前半のみ)参加させていただいてきた。神戸市のはずれにある大学生向けのセミナーハウスが会場。
偶然にも、同じ会場・同じ日程で、A交響楽団という有名なアマチュアオーケストラも合宿。送迎のマイクロバスの中で、合宿係のOさんがそのことを教えてくださったとき、「何とまぁ両極端な団体が」という話題で盛り上がっていた。そう、A交響楽団は、入団時のオーディションも厳しく(「大学で4年間真面目に楽器を弾いた人なら入れるから、誰でも入れる」とサイトに書いてあるそうだが、てことは、僕なんざきっと入れまい、ははは)、練習も厳しい、とびきり演奏水準の高いアマチュアオーケストラとして知られているのである。対してフロイントは、創立以来8年目か9年目になろうというのに演奏会など2回しかやったことがないという団体で、「自分たちの楽しみのために弾いてるだけ」と割り切っているところに特色がある。だからと言ってフロイントが下手だというのではないが、音楽演奏に対する考え方が、たしかに両極端なのだ。
A交響楽団は、つぎの定期演奏会に備えて、3日間、「運命」を中心に練習するらしい。送迎バスの中で、それを聞いた若い団員のかたが、「エッ、3日間、ずっと同じ曲やるんですか?それって嫌かもー」と言うので、「だってそれが普通だよ」と、古くからのメンバーは笑っていた。そう、アマチュアオーケストラが、毎年とか年に2回以上もの「演奏会」を設定し、「演奏会をいいものにする」のを目標にして活動するとなると、当然、半年なり1年、ずっと同一の曲を、それだけを練習し続けることになるのである。
だが、フロイントの「練習」は、まるで違う。昨日は午後3時ごろからぼつぼつと練習が始まったのだが、第一日目だけで、えーと、「魔笛」(モーツァルトの最後の歌劇)の序曲に始まって、「新世界」(ドボルジャークの第9交響曲)の1・3・4楽章、シベリウスの交響曲6番の1・4楽章、「悲愴」(チャイコフスキーの第6交響曲)の第1楽章、「軍隊」(ハイドンの第100交響曲)の全楽章、「エロイカ」(ベートーヴェンの第3交響曲)の第4楽章・・・と、これだけやったのである。二日目はまたぜんぜん違う曲目ばかりをやった。指揮者の小西さんは、致命的な問題がない限りは止めないから、ほとんどが「通し演奏」である。アマチュアが楽しみのために弾くとなれば、こういう形になるだろうし、これでも、数か月のうちには同一の曲が何度も取り上げられることが出てきて、しだいにみんなうまくなり、演奏内容が熟してくるわけだ。
A交響楽団を意識してのことかどうか、二日目のしょっぱなには「運命」が取り上げられ、全楽章の演奏を行った。アマチュアオーケストラの演奏としては、まぁ、このままステージで行われてもそれほど「何じゃこりゃ」となるまいと思われる程度には合っていた。そして、「一度やってみたかった」という小西さんの指示で、第一楽章の八分音符を、弓を飛ばさずに「長く弾く」という演奏をやってみたら、これが非常に面白い。「怒りの音楽でなく悲しみの音楽」(小西さん)になり、とてもやわらかでエレガントな「運命」だった。考えてみれば、ベートーヴェンはこの曲の八分音符にスタカートを書いているわけではない。
そうそう、朝比奈隆さんが、むかしラジオでこんなことを語っていた。というのは、ドイツのある地方オーケストラでこの曲をやるのに、初めてのリハーサルで、何の準備もなくタクトを振り下ろしてみたところ、弦の奏者たちが全員、弓をたっぷり使って「ダーダーダーダーーーー」と弾いた、というのである。今回の「小西運命」も、もしかしたらそれに近い演奏であったかも知れない。
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