音楽を求めて 18〔大石 聡/2007.11.13〕
第18章 音楽を無心に聴き、演奏すること。他者としての音楽と倫理について。2
「無垢」という概念についての話をしていたのだった。音楽を無心に聴く。既に知っている音楽についてできるだけ無心に接し、まるでその曲を「知らない」かのように演奏では振る舞う。そのような態度を「演奏の形式」にまで展開して、既成の楽譜にこだわらない「即興(インプロヴィセーション)」というものを考えたりもする。このような音楽に対する「構え」のことを、私は「無垢」という概念に託して語ろうとしていたのだった。
前回の「音楽を求めて」では、九鬼周造の「いきの構造」という名著にヒントを頂いて、この「無垢」という概念を、存在者の在り方(無垢な存在)としてではなく、存在者が外界に対してとる「構え」(無垢な構え)として語ってみることにし、その際にエマニュエル・レヴィナス先生の「光の孤独」という概念をお借りしたのだった。そのようにしてみることではじめて、私は「他者としての音楽」について自分が語ろうとしていることに気が付いたのだった。音楽というものが、人間にとってただ「快」をもたらす享受物としてではなく、それと向かい合うことが、その人にとって「生きるということそのもの」になってしまいかねないような、そのような特別な「価値」を不意に帯びることがある。そのとき、音楽はその人にとって、レヴィナス先生の仰る意味での「他者」なのである。そして、そのような「他者」と対峙するときの人間の構えのことを、まさしくレヴィナス先生は「倫理」と呼ばれたのだった。そこから類推して、「他者としての音楽」に接遇する際に必要となる人間の構えこそが「無垢」というものなのではないか、というところまで辿り着いて、ひとまず章を閉じたのだった。
音楽に於いて「無垢」である、ということは、人間が音楽に「真剣に対峙」しようとするときに必要となる構え=「倫理」の呼び名のことなのではないか。人間がそのような「構え」を持って接しない限り、音楽は人間にとっての「他者」たり得ないのではないか。音楽をただ「快なるもの」として享受/消費する人間は、決して「他者としての音楽」には関わり得ない。そのようにしか生きられない人間の有り様をレヴィナス先生は「光の孤独」と呼び、その本質を見事に射抜かれた。知の孤独に自己満足的に自閉している限り、人間は本質的な意味に於いての「人間」たり得ない。だからこそ、そこに「倫理」を持ち寄り、そのことによって「知」を自閉から解放せよ、とレヴィナス先生は主張されたのであった。
だから、音楽が人間にとって「掛け替えのないもの」となるとき、そこには倫理としての「無垢な構え」というものが、必ず関与しているような気がする。そのように考えてみれば「無垢」という作法は、人間と音楽を本当の意味で結びつけてくれる「秘密」に他ならないのかもしれない。
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さて、音楽に関与しようとする人が、その際に「無垢であろうとすること」が、思いもよらず「大切なこと」であるのはわかった。しかし、その「無垢」であるために私たちは、具体的にはどのように振る舞えばよいのだろうか?
「私が無垢である」という、存在の様態としての「無垢」を目指すことには意味がないことは、既に前回述べた通りである。それは「私がバカである」ということと、本質的に違いがない。音楽は「経験すること」に拠ってしか学ぶことが出来ないのだから、その経験自体を否定しても仕方がないのである。かといって「構えとしての無垢」といわれても、にわかにはその具体的な振る舞いが思い浮かばない。「バカであることではなく、バカのように振る舞うこと」が、構えとしての「無垢」なのだろうか。存在としてバカであっても仕方なからといって「バカの振りをすればよい」というものでもあるまい。では、無垢であるというのは、ただ「ぼーっと」して何もしないことなのだろうか?
かつて大友一三が述べていたように、音楽を聴くときには、知識と体験は確かに「邪魔」になることがある。しかし、かといってそれは「捨ててしまう」わけにもいかないものである。知識と経験を持ちながらもそれに依存しない、というのは、例えて云えば「武器は持っているが使わない」というようなものなのだろうか。知識も体験も豊富だが、それに関係なく無心に音楽を聴くというのは「やせ我慢」なのだろうか。それともそれは「煩悩」のようなものであり、「以前聴いた音楽のことなんか考えないぞ」「曲に関する知識なんか思い出さないぞ」と必死に唱えて、自分の知識や経験が思い浮かんでしまうのを「邪念」として払いのけつつ音楽を聴く、というようなものなのであろうか。
音楽は「知的に理解」するのではない。ただ「無心」に耳を澄ませばいいのだ、といったことを「言葉で述べる」だけなら簡単だ。「知解しよう」という構えの対極に、「無垢」という構えがある、などとわかったようなことだって台詞では言える。そのように「言葉で言う」のは簡単である。しかし、その「無心」だとか「無垢に」というのが、具体的には「どんな感じのこと」であるのかを言語で表現しようとすると、それは「するり」と手から逃げ出してしまう。
それはあるいは「何もしない」ということのようでもあるが、ただ受動的に「じっとしている」ことを指すわけでもない。実際、音楽を聴きながら居眠りするわけにもいかない(したって良いが、それは音楽を聴いていることにはなるまい)。一応目を覚まして意識を保っていなければならないし、意識があれば人間いろいろ考えずにはいられない。その都度「感想めいたこと」も思い浮かぶことだろうし、批判的なことだって湧き上がってくるのが「自然」というものだろう。そのような「自然」を押さえつけておくことが「無心」なのだろうか。このように考えてみると、「何も考えずに音楽を聴く」ことを言葉で表現するのは、とてもとても難しいことである。
音楽の「聴取」のみならず、さらにそれを「演奏」するのに際して「無垢である」ということを考えはじめると、問題はさらにややこしくなる。ただ「無心に楽器を演奏する」と言ったところで、オーケストラに於いて楽器を演奏するためには、必ず「楽譜を読む」という「知的作業」が欠かせないうえに、指揮者やコンサート・マスターを見たり、他の奏者との息を合わせたり、といった相当に複雑な「認知作業」も介在してくるのである。その上でさらに、純粋に指を素早く動かし、息を吹き込んで楽器というものを精密にコントロールしてみせなければならない。そのような激しく意識的かつ能動的な行為が「無垢」に行われる、というのはどういうことであるのか。とにかくそれが「ぼーっとして何もしない」というような牧歌的な状態でないことだけは、確かなことである。
このように「無垢」という概念は、それを「具体的に語ろう」とするとたちまち困難が待ち受けている、といった種類のものであることがわかる。しかし、それが音楽享受に際して、あるいは音楽演奏に於いて、深く関与するために欠かせない「構え」となるものだ、ということがわかったのだから、そこは困難であっても、何とか少しでも「具体的なイメージ」というものに近づきたい、と私は願うのである。
そのためのヒントとなる、武芸(弓術)における身体技法について書かれた非常に興味深い文献があるので、それをここに召喚してみたいと思う。1924年(大正13年)にドイツから東北帝国大学哲学教授として招聘されたオイゲン・ヘリゲル氏が、日本で「弓道」を学んだ過程について後に回顧して書いた『弓と禅(稲富栄二郎・上田武訳)』という書物である。多少長くなってしまうのだが、「無垢」という概念への理解を深めてゆくために、そのあらすじを引用してゆくのに暫時おつきあい願いたい。
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ハイデルベルク大学で新カント学派の哲学を学んだヘリゲル博士は、東洋哲学、特に日本の「禅」に強い興味を抱いて来日したのだった。着任と同時に複数の禅寺を尋ねて回った博士は、どこでも「いきなり外国人が禅の修行といっても無理なこと」と門前払いされ、困惑していた。そこへ大学の同僚から「そういうことなら、禅の思想が深く関与した日本的な芸道に入門することからはじめたらどうか」という助言を受けて、その同僚の手引きで「弓道」の道に踏み込むことになったのである。未だ江戸時代と「地続き」であった当時の仙台で、ヘリゲル博士に弓の手ほどきをすることになったのは阿波研三師範であった。師範はこれまでに、物珍しさから「何かちょっとでも日本的な素養を」というようなことを云ってくる外国人の手ほどきを引き受けたことがあり、その際に不愉快な思いをした経験から、このヘリゲル博士の入門に対しても最初難色を示された。しかし、ヘリゲル博士から「私は物見遊山ではなく、禅の奥義を究めに日本へ来たのです」という決意の程を聞かされて、ようやくその入門を許したのだという。
弓の第一歩である「弓を引く」という段階からして、ヘリゲル氏の修行は、果てしない苦難に満ちたものであった。ヘリゲル氏には短銃射撃の素養があった。しかし、そうした西洋的スポーツ競技として洗練されてきた技術の「練習」と、弓道における「上達」とでは、その根本となる思想が異なっているのである。例えば、西洋的合理思想の産物である「アーチェリー」が、肩当てによって弓を一定の高さで止めて固定し、弓本体と引き絞った弦の間に「体を押し込む」形で「力学的に楽」に構えられるよう設計されているのに対して、日本弓は全くそのようなことが配慮されていない。日本弓は矢をつがえると、殆ど両腕をまっすぐ伸ばしたたまま頭上に高く差し上げるようにして捧げられるため、弓を引くためには、射手はそのまま手を均等に左右に引き分けるより仕方がない。両手が下がるにつれてそれは互いに遠ざかり、ついには弓を持った左手は、腕を伸ばしきったまま目の高さに、逆に弦を握る曲がった右手は右肩の関節の上に置かれることになる。このような不自然かつ大きな引き搾り姿勢のまま、射手はしばらく静止しなければならないのである。しかし、これはただ「力」によるのでは不可能なのである。現にヘリゲル氏は日本人と比較してもそれなりの「腕力」があったのだが、師範から比較的楽に引ける「軽い弓」を手渡されたにもかかわらず、静止姿勢をとった数秒後にはその両手が震えはじめ、呼吸が苦しくなって真っ赤に顔が紅潮してくるのだった。猶も彼が力で耐えようとすると、そこへすかさず師範が「力を抜いて(gelockert)」と矛盾したことを告げてくるのであった。
阿波師範は細身の老体であるにも拘わらず、彼より遥かに「強い弓」をらくらくと引き絞り、美しい姿勢で静止して見せている。どのようにすれば「合理的」に、彼のような弓割りが達成できるのか。何か師範にしかわからないような「コツ」があるに違いない、と考え抜くヘリゲルに対して、師範はただ黙って「力を抜いて」を繰り返すだけであった。何週間か苦しみ抜いた挙げ句、ついに「私にはどうしても出来ないようです」という血を吐くような告白を行ったヘリゲル氏に対して、阿波師範は「そうでしょう。それは、実はあなたが呼吸をきちんとできていないからです」という、思いもよらなかった答えを告げたのだった。丹田に力を込めて長く・細く息を吐く。そして吸気で素早く息を「結ぶ」。基本的な日本古来の腹式呼吸法を教えて、阿波師範はこのように云ったという。
『これを正しく行っていくと、あなたは弓射が日一日と楽になるのを感じるでしょう。というのはこの呼吸法によって、あなたは単にあらゆる精神力の根元を見出すだけでなく、さらにこの源泉が次第に豊富に流れ出して、あなたが力を抜けば抜くほど、ますます容易にあなたの四肢に注がれるようになるからです。』
師範は実際に腹筋を露わにして呼吸を行って見せつつ、それに合わせて静かに弓を引き絞って、ヘリゲル氏に自分の随所の筋肉に触れてみるよう、言い付けた。彼が触れてみるに、師範の筋肉は実際、どこでも何らすべきことがないかの如く「力が抜けきっている」のを確かめて、ヘリゲル氏は呆然となる。ただ腹で呼吸することで、筋肉の力を抜くことができるというのだろうか。さらにはそれによって、実際には筋肉に負荷がかかるはずである作業を「力を抜いてこなす」といった芸当が可能になってしまうものなのだろうか。それらの間に、一体どのような相関があるというのか。それから来る日も来る日も、彼はただ呼吸を繰り返し、息を整えては弓を引く、ということを繰り返し続けたのであった。力を抜こう、力を抜こう、と必死にアタマの中で唱えながら弓を引くヘリゲル氏の、その四肢の強ばった部分を師範はめざとく見つけて電光の如くサッと近寄ってきて、何も言わずにその部位を指で痛くなるほどぎゅっと押さえつけて知らしめるのである。
『それでも私は、力を抜いたままでいるよう、誠心誠意苦心しているのです』
と、弁解するヘリゲル氏に対して、師範は
『まさしくそのことがいけないのです。あなたがそのために骨折ったり、それについて考えたりすることが。一切を忘れて専ら呼吸に集中しなさい。ちょうどその他には何一つ為すべきことなど無いかのように。』
と、叱責するのだった。
ヘリゲル氏はついに、最後にはこの「呼吸への没入」に成功する。その時の感覚として、ヘリゲル氏はこれを『時には「自分が呼吸する」のではなく、ずいぶん奇妙に聞こえるだろうが、「呼吸させられる」ような気さえしたのである。』と述べている。このような感覚に、氏の哲学者としての「反省的な思索」は随分と反発したものだったが、しかしそれでも、その呼吸法の成功が、そのまま「力を抜ききった弓割り」の成功に繋がっている、という事実についてだけは、どうやっても「疑いようがなかった」のだという。この期に及んで、ヘリゲル氏は「もしかすると、コツなどというものははじめからなかったらしい」ということを悟ったのだった。呼吸法は、多分それそのものが「要諦」なのではなく、ただ「無になる」ための「きっかけ」に過ぎなかったのである。力を抜いたままスムーズに弓割りが出来るようになったのは、ただ「アタマが空っぽになる」ことに成功したからであって、その他に「何か」があるわけではない。弓道に於いて「体が動く」ということは、西欧的スポーツに於いて「意識して体を動かすこと」とは、全く別のことだったのである。
この「弓を射ることとは、無になることである」という多分に「禅的」な考え方は、「弓割り」の次の段階である「放れ」において、いよいよ明瞭になるのだった。なぜなら、アーチェリーや短銃における射撃が「的を慎重に照準し、息を詰めて身体をコントロールしつつ、射撃動作を完遂する」ことであるのに対して、弓道における射は「意図して放ってはならない」からである。弓を一杯に引き絞り、ただ「満を持している」うちに自然に「それ」が起こる。そのことを弓道では「放れ」と呼び、自ら弓を放ってはならないとされているのである。弓を「射る」のだが、それは「私」が射るのではない、というのはまさしく禅問答的ではないだろうか。
この「放れ」は、ヘリゲル氏にとっても最大の難関であった。このことで苦心惨憺した挙げ句、ついには「こんなことはできっこない」と諦めの心が芽生え、師匠の言いつけに背いて、彼は短銃射撃のような「スムーズな、しかしコントロールしつくされた離れ」を演じてしまうである。それをみた師匠は、ただ「信じられない」といった表情をみせ、黙って彼に背を向けてしまう。彼は「破門」されてしまったのである。友人の執り成しによって、かろうじて師に再び迎え入れてもらうことはできたものの、危うい崖っぷちにまで追いつめられてしまったヘリゲル氏は、また血を吐くような思いで師に問いかけるのだった。
『しかしいったい射というのは、もしそれを私がしないのであれば、どのようにして放されることが出来ましょうか。』
これに対して、師匠はごく簡単にこう答えるのだった。
『それが射るのです。』
『それはこれまでにも何度か承りました。ですから問い方を変えなければなりません。一体私がどのようにして自分を忘れ、放れを待つことができましょうか。もしも私がもはや決してそこに在ってはならないとおっしゃるのならば。』
『それが満を持しているのです。』
『そのそれとは誰ですか。何なのですか。』
これに対して、阿波師範はただ黙って首を横に振り、答えようとしなかったのだった。それがわかれば、もうあなたは私を必要としないし、弟子が自分自身でそれを探そうとあがいているのを妨害し、そこに「答えを差し出す」ような馬鹿げた真似をもし自分がしてしまったならば、自分は師としては「最悪のもの」となってしまうだろう、というのが師範の答えなのだった。そして、ただ練習を続けることを促されたのである。
そしてある日、突然に「それ」が起こるのである。
ヘリゲル氏が一射するやいなや、師範は丁寧にお辞儀して稽古を中断させた。面食らったヘリゲル氏が師範をまじまじと見つめていると、師範はこのように彼に告げたのだった。
『今し方、それが射ました!』と。
しばらくしてやっとその意味が飲み込めたとき、ヘリゲル氏は込み上げてくるうれしさを押さえることが出来なかったのだった。その様子を見た師範は
『私が云ったことは賛辞ではなく、ただの断定なのです。それはあなたに関係があってはならぬものです。私はあなたに向かってお辞儀したのでもありません。と、云うのも、あなたはこの射には全く責任がないからです。この射では、あなたは完全に自己を忘れ、無心になって一杯に引き絞り、満を持していました。その時射は熟した果物のように、ただあなたから落ちたのです。さぁ、何事もなかったように稽古を続けなさい。』
とやんわりとヘリゲル氏に釘を刺したのだった。
「弓割り」「放れ」と二つの段階を経て、ようやく師弟は「的」へと向かうことになる。しかし、ここにはさらに大きな「壁」が聳えているのであった。「力で弓を引いてはならない」「放そうと思ってはならない」という弓道の趨向性は、いわば「自分」というものを離れて「無心に射る」ということへの趨向性と、言い換えることが出来よう。その延長線で考えてみれば当然のことでもあるのだが、弓道における「的」というものは、なんと「狙ってはならない」ものなのであった。しかしまた、弓というものは「的に当てる」ために射るもの以外でも有り得ない。だから、これは行為そのものの在り方と矛盾することでもあるのだ。「的の狙い方」などというものとは無関係なままに、ただ体だけ的に向けて立たせて、ひたすら「無心に射る」ことを要求する師範に対して、ヘリゲル氏はまた「的中を可能にするための照準というものが在るのではありませんか」と愚直に問うのだった。それに対して師範は
『もちろん、それはあります。そしてあなたは、そのために必要なねらい所をたやすく御自分で見つけることが出来ましょう。しかしそうやってあなたの殆ど全ての射が的に当たるならば、あなたは「自分を見せ物にしても良い」という曲芸射手に他ならないでしょう。自分の中りを数える功名心の強い人にとって、的は彼がずたずたに穴を空ける、一片の反故紙にすぎないのです。弓道の奥義は、これを全くの邪道と考えます。』
と、にべもなく答えるのであった。では弓道の奥義における「的」とは何ですか、という重ねての問いに対して、師範は
『射手は、一定の距離をおいて立てられているあの的のことなど関知しないのです。私たちの本当の的とは、技術的にどのような仕方によっても狙うことの出来ないものです。それは名付けることはできませんし、敢えて名付けるとすれば、それはおそらく仏陀とよばれるものでしょう。』
と、あたかも分かり切ったような口吻で告げて、実際に目を伏せて的を全く見なまま、礼法をそのまま舞うかのような素晴らしい仕草で射を放ってみせるのだった。軽々と的を射抜いてみせる師範に対して、ヘリゲル氏はやはり納得できないまま、色々と考えることを止めることが出来なかったのだった。そして、ついに次のような「抗議の言葉」を師に対して差し出してしまうのである。
『先生は何年となく稽古を積まれたのですから、弓を引くときには思わず知らず、ちょうど夢遊病者が正しい道を歩むような正確さで、弓と矢の見当をつけることが出来るのでしょう。だから意識的に狙うこと無しに的に中てる、などということができる。というよりもむしろ、否応なく中ってしまうということなのではありませんか。』
阿波師範は、これにはあえて否定的な答えも返さず、ただじっと意味ありげな目つきで彼を見つめ、そして「では、今晩おいでなさい」と告げたのだった。その夜、道場でヘリゲル氏と阿波師範の間で起こったことについては、そのまま濃厚なる本文を転載することにしよう。
『私は彼と向かい合って座布団の上に座っていた。彼はお茶を出してくれたが、一言も話さなかった。そのまま我々は長い間座っていた。真っ赤に熾った炭火の上で、お湯がちんちんと滾る音の他は何も聞こえなかった。ついに師範は立ち上がって私についてくるように目配せした。道場には明々と電灯がついていた。師範は私に命じて縫い針のように細長い線香に火を灯させ、それを的の前の砂地に差しこませたが、的の電灯にはスイッチを入れないようにと注意した。真っ暗だったので私には的の周辺部の輪郭さえ見分けがつかなかった。そしてもしも線香のちっぽけな火玉がその在処を示さなかったら、私は的の立っている場所を、あるいはぼんやりと感づけたかもしれないが、はっきりと見定めることなど到底出来なかっただろう。師範は礼法を「舞った」。彼の甲矢(はや)は皓々と輝く明るみから真っ暗な闇の中へと飛んでいった。炸裂音で私はその矢が的に当たったことを知った。乙矢(おとや)もまたあたった。的の電灯をつけたとき、甲矢が黒点の中央に中り、また乙矢は甲矢の筈(はず)を砕いて、その軸を少しばかり裂き割って、甲矢と並んで黒点に突き刺さっているのを見出して、私は呆然とした。そしてその矢を別々に引き抜くに忍びず、的と一緒に持ち帰った。
師範はそれをしげしげと見つめていた。やがて彼は言った。
「甲矢のほうは別に大した離れ技でなかったとあなたはお考えになるでしょう。何しろ私はこの道場とは数十年来馴染んできているので、真っ暗闇の時ですら的がどこにあるか知っているに違いないというわけでね。そうかもしれません。また私は言い訳しようとも思いません。しかし甲矢に中った乙矢、これをどう考えられますか。とにかく私は、この射の功は『私』に帰せられてはならないことを知っています。『それ』がこれを射たのです。そして中てたのです。仏陀の前でのように、この的に向かって頭を下げようではありませんか。」と。
この二本の矢でもって、師範は明らかに私をも射止めたのであった。一晩のうちにまるきり別人になったかのように、私はもはや私の矢や、それがどうなったかについて心を煩わせる誘惑に陥らなくなった。』
暗中の的、と題されたこの小稿には、非常にたくさんの「重要なこと」が籠められているように、私には思われる。それにしても、今から遡ること僅かに八十余年、大正時代の我が国にはこのような「師範」がごく普通に道場を構えており、市井の一般市民を広く集めてこのような精神的指導を行っていたのである。そこではこのような師弟の「深い遣り取り」が行われており、弓と矢を通して「仏陀」なるものが望遠されていたのだから、大変驚かされることである。
***
「弓と禅」という、音楽とは直接には何の関係もない、ある種の武術習得に関する逸話を長々と引いてきた訳が、皆さんにはもう大体はおわかりになっただろうか。弓道の修行に於いて展開されている「無心に弓を射る」というテーマが、そのまま今回のテーマである「無垢に音楽に関わる」ということと、たいへん類似性のあるものではないかと私は考えたわけである。
弓道における「無心」というものは、具体には
「力で弓を引いてはならない」
「矢を放そうと思ってはならない」
「的を狙ってはならない」
というようなことを指しているのであった。このような弓道の在り方は、いわば「自分」というものを離れて「無心に射る」ということであり、その背後には明らかに禅仏教で云うところの「無私(無心)」ということが踏まえられている。弓道が、ただ「弓が上手になること」を目指すものであるならば、これらのテーゼはどれもその目的にはそぐわない、というべきであろう。
実際、スポーツとしてのアーチェリーを例にとって考えてみれば、そこでは「なるべく的に近く、しかも確実にあてられること」だけが合理的に目指されている、ということがよくわかる。アーチェリーの「的」に同心円が描かれ、中心に近くなるほど高い得点が与えられているのは、お互いの技術を客観的に判定して「競いあう」ために他ならない。そこでの「弓」は合理的かつ楽に、安定して射撃できるよう作られているべき「道具」なのであり、矢は確実に的に的中させるべく慎重に「照準」され、射撃動作はごく滑らかに完遂されなければならない。技術の修練の結果はその「得点」に集約され、その栄誉はまた、射手自身の努力と才能に帰されるのであって、それ以外の何ものでもない。こう考えてくるとその外形は似ていても、スポーツであるアーチェリーと弓道は、その「目標」とすることが全く異なっており、むしろ「対照的」であることがわかる。
私は別に、アーチェリーが「ダメ」で、弓道が素晴らしいと主張しているのではない。アーチェリーにはスポーツとしての興奮も、技術を磨く面白さもあるだろうし、スポーツマンシップというようなある種の社会性・道徳性の要素も垣間見えることだろう。そういう意味で、むしろアーチェリーは「人間の活動」としてあたりまえなのであり、弓道こそがいわば「非合理的」なのである。スポーツというのはあくまで「人間の活動」なのであって、人間が、人間同士の間で、人間として興じ合うためのものなのである。しかし、弓道はその根本に「無私(無心)への趨向性」が組み込まれることによって、明らかに「スポーツではないもの」に変じている。いわば、それは人間が「人間以外のものと相対するための修行(道)」とでもいうべきものに、まったく方向を変じてられているわけである。
禅仏教における「無私(無心)」とは何だろう。それを趨向することは「宗教」の本質に触れることなのだろうから、その概念が簡単なものであるはずもない。それを追求するために「禅」があるのであって、そこを追求するにはこの小論はあまりにも小さく無力である。ただ、それを簡単に踏まえておくために、禅仏教を背景とする哲学者である鈴木大拙の言葉を引いてみれば、それは
『絶対の他者、他のもの、自分ならざるもの、絶対に自分の向こうに立っていて、自分を全く包んでいるもの、絶対の他力と云っても良い、そのものに任せることを指している』(鈴木大拙『無心ということ』)
だと書かれてあり、「無心」というものは、宗教というものの本質をあらわす「何か」なのだと述べられている。要するに、仏教という宗教に於ける「無心」というものは、人間が「他者(つまり絶対的に宗教的な存在)」に接遇するための、欠かせない構え=作法なのだとされているのである。同じ宗教であるユダヤ教を背景とする哲学者であるレヴィナス老師のお説と、大拙翁が仏教について仰ることがあまりに「瓜二つ」であることに、私は驚かずにはいられない。同じ「宗教」なのだから当たり前、といえば当たり前ではあるのだが、遠く離れた異なる文化に根ざしたものが別々にこうした合一を見る、というのは、やはり不思議といえば不思議なことである。
大拙翁がいうには、宗教というのは本質的に「受動的であること」なのだという。向こうから来るものがあり、それを他者として「受け容れる」という構えの中にこそ、宗教性というものは存している。大拙翁に云わせれば
『塞がったところは、既に何かものがあるので、そこでは受動が可能でないのです。何もないから入れられる。自分に何かあると思うからはいってくるものに対して抵抗する。宗教生活にはそういう抵抗性を嫌うのです。ぎしぎしいがみ合っては本当の宗教的生涯というものが出てこないのです。』(鈴木大拙『無心ということ』)
と、いったことになる。大拙翁にとっては知識や経験といったもの達も、定めし「塞がったところにある何ものか」ということになるのであろう。世間の評価や私の主張、批評や意見、といった種々のもの達も「同様」なのであり、そのようなものに塞がれているところには、きっと「仏陀」が入ってこないのである。だから、先ずとにかく「空っぽ」になることが大切だ、と阿波師範はヘリゲル氏に云いたかったのであろう。それが具体には「力を抜け」「ただ呼吸すること以外考えるな」という言葉の繰り返しとして顕れたのではないか。これは「空っぽになって受け容れる」ことからしか、「宗教的なこと」は何一つはじまらない、ということなのだろうと思う。
禅仏教的な概念としての「無私(無心)」について、私が知っているのはこの程度のことに過ぎない。しかし同時に、このような「私に在らざる私」だとか「空っぽになって受け容れる」という概念についてならば、それは何も「宗教」における専売特許という訳ではない、とも思うのである。大拙翁は人間の意識的な統御のことを「分別」と呼び、「無心」とはその「分別を離れること」だと述べていたが、このように「私(自我)」による意識的な統御を「唯一無二のもの」だとは考えず、その統制を離れた「無意識的統御」というようなものが有り得る、という考え方ならば、各界にそうした考え方の「ヴァリエーション」とでもいうべきものが存在する。認知心理学で言うところの「閾下知覚(subception)」というのもそうだし、晩年のソシュールが没頭していた言語学における「アナグラム」現象も、それを証左立てるものの一つだろう。構造人類学に於けるクロード・レヴィ・ストロースの知見も、恐らくそれにあたるのだと私は思うし、私の専門分野である精神分析の「無意識」という知見も勿論そうなのであって、ラカン派、対象関係学派、ユング派とそれぞれに「無私」の有り様についての概念を競っている、といえなくもない。
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「閾下知覚」というのは、意識が知覚統御しているのとは別の次元(閾下)でも、ある種の知覚認知が活発に機能しており、それが人間主体の行動を実際に(無意識的に)律していることを指す用語である。「音楽を求めて」でも、かつて第15話でその一例を紹介したことがあった。その例を繰り返せば、
『1949年にラザルスとマックリアリによって為された実験にあるように、被験者に多数の出鱈目な綴り字を見せ、幾つかの特定の綴り字に対応するように電気ショックを与えるようにすると、まもなく被験者達は「ショック綴り字」を目にするだけで、電気ショックを予期しているような兆候を示すようになるのである。しかし、被験者達にその「ショック綴り字が何か」を訊いてみても、被験者達はそれについて答えることはできないのであった。1958年にはエリクセンとクーゼが、これと類似した実験として、被験者が特定の「ショック語」を(何気なく)口にしたときに、すかさず電気ショックを与えるようにすると、まもなく被験者がショック語に関連する言葉を口にしなくなり、ショックを出し抜くことを覚えてしまった、といった結果を出している。この場合にも、被験者達は自分たちがどのような言葉を回避しているかについて、全然自覚はないのであった。』(『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー)
これらの実験に於いて、「ショック綴り字」や「ショック語」を認識し、それを回避するように指令を与えているのは「誰」なのか。それは少なくとも、意識として自分を統御している「私」ではない、といえるだろう。
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「アナグラム」というのは、言葉を構成している文字をランダムに並び替えて、別の意味のある言葉を作り出すことである。これについても「音楽を求めて」の第15話で北杜夫のエッセイに登場したアナグラムの実例を紹介したのだった。こんな例である。
『私は若い頃、トーマス・マンに心酔しており、とにかく朝も夕もトーマス・マンのことばかり考えて明け暮れしていたのだった。そのような頃のある日、私は所要で降り立った田舎の駅前で、突然「ぎくり」として立ち止まった。どうして「ぎくり」としたのか、その理由が自分にもわからない。だが、何かを見て「衝撃を受けた」ことだけは確かなことである。そこで、私はゆっくりと、その駅前のうら寂しい風景をもう一度眺めわたしてみた。そして、どうやら酒屋らしき店に「トマトソース」という看板の文字があるのを見つけて、ようやく自分の「ぎくり」の理由に思い当たったのである。』
これは、人間の「アナグラム」の解読能力がどれほどのものであるかを示している興味深い実例である。この例に於いて、「トーマス・マン」というアナグラムを組み立てたのはもちろん、北杜夫自身であるが、それは彼の「意図」に基づいて行われたのではない。
彼が酒屋の看板に読んだ「トマトソース」には「ト」「ー」「マ」「ス」「マ」「ソ」の文字が含まれている。彼は一つしかない「マ」を二回読み、二つある「ト」のうちの一つを読み落とし、さらに「ン」と「ソ」を読み間違える、といった複雑な手順を踏んで、「トマトソース」から「トーマス・マン」を読み出したのであり、これは相当に「手間のかかる作業」であったに違いない。だがこの作業は、北杜夫が駅前の景色を一瞥し、一瞬遅れて「何かいま自分にとって重大なものを見た」というアラームが脳裏に鳴り響くまでの、ごく僅かな時間で完了していたのである。
アナグラムに限らず、「駄洒落」だとか「韻を踏む」といった言語的な作業は、意図して行うというよりも、「知らないうち」に頭がそのようなものを作り出してしまう、というようなやり方で行われるものである。ソシュールは晩年にこのような言語的作業を行うものが「誰」であり、それはどのような「ルール」に基づいて行われるのか、ということを解明しようとしたのだが、ついに果たせぬまま没したのであった。これらもまた、人間が「意識的な私」という一枚岩で思考しているわけではない、ということの証拠となるものであるだろう。
***
レヴィ=ストロースによる構造人類学の知見も、何とも不思議なものである。彼に拠れば、さまざまな社会集団に於ける家族を「親密さ/疎遠さ」という対立軸で調査すると、不思議な規則性が発見されるのだという。
A/父−子/母方叔伯父−甥 の場合
0;父と息子は親密だが、甥と母方のおじは疎遠である。
1;甥と母方のおじは親密だが、父と息子は疎遠である。
B/夫−妻/兄弟−姉妹 の場合
0;夫と妻は親密だが、妻とその兄弟は疎遠である。
1;妻はその兄弟と親密だが、夫婦は疎遠である。
例えば、メラネシアでは父子の間柄は遠慮ない関係だが、甥と母方のおじは激しく対立しており、コーカサスのチュルケス族では、父と子の間に厳しい緊張があり、母方のおじは甥の結婚式に馬を送る習慣があるという。ニューギニアのトロブリアンド島では、夫婦は親密で開放的だが、兄弟姉妹の関係は厳格なタブーが律しており、チュルケス族の兄弟姉妹は添い寝するほど親密だが、夫婦は共に人前に出ることがない、という具合である。
二つの関係について、それぞれ二つの選択があるのだから、これは「二ビット(つまり4通りの状態)」の情報として提示される。(00/01/10/11)レヴィ=ストロースのいう親族構造は、兄弟姉妹、夫婦、親子という3項から成っており、これを彼は「親族の基本構造」と名付けている。親族は、基本的には「二つの対立」から出来ており、どの世代をとっても、そこには+の関係と−の関係が対になって存在しているというわけだ。
『この構造は四つの項(兄弟、姉妹、父親、息子)から成っており、この四つの項は相関する二つの二項対立によって結びつけられている。つまり、どの二世代をとっても、そこにはプラス関係の世代とマイナス関係の世代が存在するということである。では、この構造は何であり、なぜこのような構造が存在するのであろうか? 答えは次のようになる。この構造は考え得る限り、存在しうる限り最も単純な親族構造である。まさしくこれが親族の基本単位(l’element de parante)なのである。』(クロード・レヴィ=ストロース『構造人類学』)
このように、世界中のどこでも「親族の基本構造は二ビットで表現できる」というのが大胆極まりないレヴィ=ストロースの仮説であるわけだが、この仮説が我々に教えてくれる大切なことは、私たちが「自然で内発的」だと信じている感情(親子、夫婦、兄弟姉妹の間での親族としての親密感情)が、実は社会システム上の「役割演技」に他ならないのであって、社会システムが異なるところでは、親族間に育つべき標準的な感情もまた(そのシステムによって)異なるように律されている、ということである。
常識的には、人間が(その内発的動機に基づいて)人間社会の構造をつくってきたのだ、というふうに考えがちである。親子や兄弟、夫婦の間には「自然な感情」が先ずあって、それに基づいて私たちは親族制度を作り上げてきたのだ、という具合に。しかし、レヴィ=ストロースはこれをきっぱりと退けてみせる。人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が「人間らしい感情」を作り出すのだ、というわけである。
彼の説に従えば、日本人の文化にもある種の「構造」があることになる。渥美清が演じるところの「フーテンの寅さん」が活躍する「男はつらいよ」の映画シリーズに於いて、寅さんの甥である「満男」が「寅さん」に示す親密な感情は、レヴィ=ストロースにいわせれば「母方の伯父と甥」という親族関係の事後的な効果によるものであって、その証拠に満男と父親である「博」の間柄は疎遠である、ということになるのだし、「寅さん」がさっぱり結婚できないのは、妹である「さくら」との感情関係が親密に過ぎ、「兄妹関係が親密すぎるために、夫婦関係がその分だけ疎遠になる」という親族構造の基本的力動に依っているのであって、寅さん自身に性的魅力がないこととは何ら関係がない、ということになるわけである。
このように人間は、親族構造という「深いところからの要請」によって、ある種の「型」のようなものを生きているのかもしれない、というこのレヴィ=ストロースの知見は、「私」などというものが「主体的」かつ「自由」に生命を謳歌しているわけではない、ということについての人類学的研究からの「証明」の一つなのではないだろうか。
***
さらには精神分析で言う「無意識」という概念こそ、「私にあらざる私」について、最もあからさまに踏み込んだ知見であったということができよう。学問としての精神分析を打ち立てたフロイトによれば、無意識とは「私は、私の欲望を知らない」というふうに定義できるものであった。彼は錯誤行為(言い間違い、思い違い)や催眠、さらには夢の研究、といったものを通して、人間の意図や行動といったものが、必ずしも「私」という意識の中枢であるところの「自我」の機能に纏わらぬことを発見し、その「私にあらざる私」の淵源として「無意識」というものを措定してみせたのである。
フロイトは、この無意識のことを「エス(Es)」と呼んだ。後にラテン語化されて、それは「イド(Ido)」と呼ばれるようになったが、元のドイツ語での“Es”とは、英語で言うところの“It”であり、日本語ではまさに「それ」と名指されるものだったのである。先の「弓と禅」における師弟の会話を思い出して頂きたい。
『しかしいったい射というのは、もしそれを私がしないのであれば、どのようにして放されることが出来ましょうか。』
これに対して、師匠はごく簡単にこう答えるのだった。
『“それ”が射るのです。』
『それはこれまでにも何度か承りました。ですから問い方を変えなければなりません。一体私がどのようにして自分を忘れ、放れを待つことができましょうか。もしも私がもはや決してそこに在ってはならないとおっしゃるのならば。』
『“それ”が満を持しているのです。』
『その“それ”とは誰ですか。何なのですか。』
私はこの箇所を読んだとき、ある種の「既知感」で頭がくらくらしたのだった。ここで名指されている「それ」というのは、フロイトがその昔、錯誤行為の主体について「それ=Es」と名指したものと、全く「同じもの」なのではないのだろうか。阿波師範が述べるところの「それが射る」「それが満を持す」というときの、その主体は「私」でありながら「私ではないもの」である。意識的な制御に纏わらぬものでありながら、それは「私以外」のものでも有り得ない。それは「私ならざる私」のことなのである。ポランニーが「閾下知覚」と指摘し、北杜夫の「トーマス・マン」を編み出し、レヴィ=ストロースが「基本構造」と呼ぶ形で私たちに触れてくるもの。それらは全て、帰する所フロイトが「無意識」と呼んだ、私たちの裡にある、あの「ほの暗いところ」なのではないのだろうか。
この「私にあらざる私」のことを、ユング師は「自己(Self)」という風に名付けられたのだった。
人間は、意識の中枢であるところの「自我」によっても尽くすことが出来ず、かといって形にならない「無意識」だけでもそれを代表し尽くすことは出来ない。だから、その二つの「せめぎ合う力の重心」であるところ=「自己」というものが、人間の「本当の在処」なのであろう、というのがユング先生の主張なのであった。ユング先生の御説に拠れば、いわゆる「私らしさ」だとか、「本当の私」といったものは、この「自己」の特性としてしか現れようがないもの、ということになる。それは、私たちが「私はね」「私的には」という具合には、軽々しく語ったりコントロールしたりすることができないものである。意識がそのようなものを主張し、そちらにバランスが傾けば傾くほど、無意識はそれを「補正」し、バランスをとろうとする。私が自分で「これこそ私らしい私だ」と思うものに、私の内奧は必ず「ノー」と告げてくるのである。そのような「せめぎ合い」の中で、人間は最終的な「バランス」「調和」として、外界との間に「析出する」ような在り方でしか存在できない。それがユング先生のいう「自己」の在り方である。
このユング先生の「自己」という概念は、東洋的概念であるところの(禅の帰する所でもある)「無我」という境地と重なり合っているように思われてならない。それはまさに、弓を構えて満を持し、放れを実行する「私ならざる私」のことではないか、と思うのである。ユング先生の心理療法家としての「構え」というのは、同じ精神分析家でありながらフロイトとは全く異なっている。自我というものを人間の意識の中核に据え、無意識であり欲動の在処でもある“それ=エス”を「奔馬」に例え、それをあくまで「騎手」である自我が御する、というのがフロイトの考え方であるのに対して、ユング先生は「自我」なるものの優位性を認めない。だから、治療者=患者関係に於いても、当然ユング先生は治療者に優位を認めないのである。
『と、いうのは、私の目の前にいる人の人格の全体を理解することなど絶対に出来ないからである。(・・・)それ故いやしくも個性的な人間を心理的に治療しようとする限り、私はよかれ悪しかれ自分の方が良く知っているとか権威を持っているという気持ちや、影響を与えようという気持ちを全て捨てなければならない。』(C.G.ユング『心理療法論』)
ユング先生はこのように述べ、治療は医師が患者に「施す」ものではないことをきっぱりと明言される。医者が「私は正しい治療を知っている」ということを放棄したら、どうなってしまうのであろうか。「正常化」という概念を喪った医療は、もう医療とは呼べまい。「病」と「健康」の境界のないところには、医学は存在しないであろう。そういう意味で、ユング先生は心の臨床に於いては「医師」であることをある意味「放棄」しなければならない、ということを説いておられるのである。そういう意味で、師はなかなかラディカルなのである。「正常化」という概念を放棄した治療者は、ではいったいどのような治療目標を目指すというのだろうか。それについてユング先生はこのように仰る。
『私は可能な限り経験そのものに治療の目標を決めさせている。このことはおそらく奇妙に思えるかもしれない、というのも一般の治療者は“自分は目標を持って治療にあたるべきだ”と思っているだろうから。しかし、心理療法に於いては、医師が確固とした目標をいっさい持たない方が実のところ賢明であるように私には思われる。医師は恐らく、自然や患者自身の生きる意志ほどには、その生の目標を良く知ることができないであろう。人間が下す偉大な生の決定は、一般に意志や善意の分別よりも、はるかに多く本能やその他の(神秘的とも言える)無意識的な要因に従って行われている。ある人にピッタリする靴は他の人には窮屈だ。普遍的に妥当する生の処方箋などどこにも存在しない。』
『心理療法の目的というのは、患者の苦しみをただ取り除いてやるということでもない。何らかの葛藤があり、それに苦しんでいる、という状態は“病気”ではない。“苦しみ”の対極は“幸せ”であって、“病気”ではないのである。そして、苦しみのないところには、幸せもまた存在し得ない。むしろ人は、葛藤があるにも拘わらず“そんなものは無いし、苦しくもない”といってそれを認知しないときにこそ“病気”になるのである。私たちに出来ることは、彼が苦しみを直視し、それに耐える強さと忍耐を獲得できるよう支援してやることなのである。』(C.G.ユング『心理療法論』)
うーむ、さすがにお師匠様のお言葉は奥が深い。私はお師匠様のこういうところに(実際にはその仰ることが良くわかっている訳ではないのだが)「ズキュン」ときてしまうのである。もちろんこれを読んで「こんなものの一体どこが心理治療だ。目標はなくただ風任せに出たとこ勝負。しかも苦しみを和らげる気もないなんて、科学的医療が進んだ現代にこんな戯言を誰が聞くもんか」というようなことをいう輩がたくさんおり、むしろそういう医師が主流である、ということを私は承知しない訳ではない。そのようにしか「治療」できない、といった分野もあることだろう。しかし、こと「心理治療」の分野に限っては、お師匠様の教えは「極めて本質を突いている」と、私は信じているのである。
私にとっては、既に身に染みこんだユング先生のお教えであるこの「治療者としての構え」というものは、ヘリゲル氏が学んだ阿波師範の「射手としての構え」は、実に良く似てはいまいか。『今し方、それが射ました!』と褒めておきながら、即座に『私が云ったことは賛辞ではなく、ただの断定なのです。それはあなたに関係があってはならぬものです。私はあなたに向かってお辞儀したのでもありません。と、云うのも、あなたはこの射には全く責任がないからです。』と弟子を嗜めることを忘れない阿波師範の言動は、私にはそのまんまユング先生のお言葉に聞こえてしまうのである。
『心理療法に於いては誰でも成功することが出来るし、それは未開の呪医や祈祷師のころからはじまっていることである。成功から心理療法家が学ぶことは殆どあるいはまったくない。と、いうのも、成功はよりによって彼の誤りを正当化してしまうからである。これに反して失敗は極めて貴重な経験である。と、いうのも、その経験にはより良い真理への道が開かれているのみならず、それによってわれわれが、必ず自分の見解や方法を変えざるを得なくなる、ということが起こるからである。』(C.G.ユング『心理療法論』)
どうですか。ほとんど二人は、同じことを言っておられませんか。
***
なんだか最後のほうは話が「禅とユング」のほうへ飛んでいってしまったが、とにかくユング心理学における「無意識」「自己」といった知見が、禅で言う「無我」「円」という知見と「並列している」ということをお示ししたかったのであった。このように精神分析的知見もまた、「弓と禅」に登場した「無心」という知見の、異なる観点からのヴァリエーションである、ということの一端はおわかり頂けたのではないか、と思う。「弓と禅」の例をひいて、そこからさらに禅的な概念であるところの「無心」というものについて、さらにはそのヴァリエーションと考えられる知見のいくつかについて触れたので、少し話が拡散してしまったかもしれない。ここでもう一度「弓と禅」の話にもどってみることにする。
「暗中の的」に至る前段階で、阿波師範は射手の「心構え」として大切なことについて、二つ具体的なことに触れている。
『しかしそうやってあなたの殆ど全ての射が的に当たるならば、あなたは「自分を見せ物にしても良い」という曲芸射手に他ならないでしょう。自分の中りを数える功名心の強い人にとって、的は彼がずたずたに穴を空ける、一片の反故紙にすぎないのです。弓道の奥義は、これを全くの邪道と考えます。』
『射手は、一定の距離をおいて立てられているあの的のことなど関知しないのです。私たちの本当の的とは、技術的にどのような仕方によっても狙うことの出来ないものです。それは名付けることはできませんし、敢えて名付けるとすれば、それはおそらく仏陀とよばれるものでしょう。』
という二つがそれである。
前者では阿波師範は、「的に当てる」こと自体を目的とする射手は、自分を「見せ物」にして良いと考えている「曲芸射手」である、と述べて否定している。「自分の中りを数える功名心の強い人」という、かなり「あからさまな侮蔑」が籠められた表現から推して考えるに、これは「周囲からの評価を求めてはならない(或いは、評価を目的として修行してはならない)」という禁戒である、と考えても良さそうである。だからこそ、弓道に於いては客観的な評価基準は用意されず、ただ「師」がその判定を行う、といったことになっているのではないか。対比すると、アーチェリーや短銃射撃に於いては、的に同心円状の「点数領域」が設定されており、数回の試技によってその合計得点を算出して競い合う、というように客観的な評価基準が確立されているわけである。その評価にこだわり、同じルールの下で高い評価を「競い合う」ことこそが、スポーツ競技の本質であると考えられる。しかし弓道に於いては、それは「全くの邪道」なのであって、本筋を外したことだとされるのである。
では、弓道における「本道」とは何なのか、という問いに答えるのが後者の言葉である。ここで阿波師範は「本当の的」という言葉を用いて、実際に掲げられている射的を「仮の的」というものに相対化して見せている。その「本当の的」そのものについて、それを言葉にする(名付ける)ことは出来ない、としながらも、師範はそれを「仏陀」と呼んで見せることによって、それが人間の間での評価ではなく、「人間の外にあるもの」に向かう志向性であることを示唆して見せている。だからこそ、弓道は「師弟関係」という、「他者への超越」が必要な関係に於いて学ぶこととされているのであろうし、それはアーチェリーのような「スポーツ」における、コーチと選手の関係とは「まるで違ったもの」であるのだろう(「師/弟子」と「教官/生徒」という二つの関係の相違については、音楽を求めて9.指揮を学ぶことの今昔と、教育の決定的に異なる二水準について、で詳説した)。
これを音楽に則して翻訳してみればどのようになるだろうか?
「的に当てること自体を目的とする射手」とは、さしずめ音楽鑑賞に際して、ある種の基準を元にそれを「評価」しようとするような聴き手、ということになるのだろうし、或いは音楽演奏に際して、ある種の基準の元に「評価される演奏をして見せよう」とするような演奏家、ということになるのだろう。いずれもその根底には「評価基準」というものに対する信憑が存在しており、それが音楽を行う「目的」と化していることがその特色となっているといえる。
ベートーヴェンのエロイカを聴いて「これは○○フィルの演奏だ」とか「3回目の録音と比較すると、今回はテンポが若干早い」だとかいうことばかりを思い浮かべている聴き手は、自分の知識や経験に囚われており、それへの参照から確かに抜け出ることが出来ていない。しかし、それは「参照そのもの」がいけないのではない。むしろ、そのような行為を通して「私はこの音楽を知っているし、わかっている」という感覚に無条件に浸ってしまっていること、それが「正しくない」のではあるまいか。知識や経験と参照してみたところで、音楽そのものが変化する訳ではない。変わるのは、知識や経験の参照を通して「解ったような気になってしまう」主体の在り方そのもののほうである。知識や経験は客観的に羅列可能であり、それを通して「評価できるような気がしてくる」ことが危険なのではないか。知識や経験そのものではなく、それによる評価が「実在する」ことを信憑するようになってしまうとき、きっと音楽は死んでしまうのである。
演奏に際して、事前にその音楽を「聞き込んでくる」ことについても同様だろう。その音楽について知ることが悪いのではない。事前に音楽に馴染むことで、その音楽が「解ったようなつもり」になってしまい、音楽に対する敬意が喪われることが危険なのである。むしろ、聴けば聴くほどその音楽が「好き」になり、その音楽がますます謎めいて「わからなくなってくる」ような、そういう深い聴取が可能なのであれば、そのような経験が演奏に於いてマイナスになることは、有り得ないだろう。ここでも問題となるのは、知識や経験そのものではなく、それによって変化する「主体の構え」なのである。
音楽について、それを客観的に評価する基準のようなものが実在し、そこで良い評価を受けることが「良いことだ」と無邪気に肯定して怪しまなくなる。そのような態度が育成されてしまうことの危険性について、小西収はかつて「吹奏楽コンクールとその害毒」という文章を草したのではなかったか。小西収がそこで述べたかったのは、コンクールのように音楽を評価し、それに対して外部から価値付けを行うような行為は、その評価が「正しいかどうか」「妥当かどうか」といったこと以前に、音楽を営む者が「音楽を価値付けするのは当たり前のことだ」と考えるようになってしまうこと自体に「問題がある」ということだったのではないか。音楽に携わる者が、同業者或いは観客からの「正当な評価」を求めることを「目的」として音楽を行うようになってしまうとき、音楽は必ず「危機」に瀕することになる。だから音楽は本来、ただ音楽する喜びのためだけに、為されなければならない。そこに「努力したというプロセス」だとか「客観的評価」などという、夾雑物が入る余地はない、というのが一貫した小西収の主張だったように思う。
音楽に「正しい」というような観念が介在するようになることは、何一つ良いことを産み出さない。楽譜という「テキスト」を読解するにあたり、そこに「作者の制作意図」という「正解」を設定する読みをする者について、私はかつて「音楽を求めて(10.作品を読むということ。テキスト読解の二つの水準について。)」という小論で批判したことがあった。テキストに「正解」を読み込もうとする者は、いかに表面的には「謙虚」であろうと心掛けたところで、実際には「私はそこに正解があることを知っている」と考えている一点に於いて、既に謙虚でなど有り得ないのである。そしてそのことは、そのまま演奏行為に如実に反映されてしまう。そのことについて私は「同(11.指揮者に内在する音楽が指揮そのものを左右するということ。)」において、音楽というものに「正解」を夢見る指揮者を例にとって論証してみたのだった。「正解」を目指して音楽を営む者は、必ず現前に展開しつつある音楽を「審査/批評」せずにはおれなくなるのである。それを「正解との距離」として指摘できる者は、そういう指摘をすることをためらわない。そのようにして音楽はぶつ切りにされ、細かな修正を受けて萎縮し、縮減されてゆくことになる。微妙なニュアンスと生気を喪って、音楽は死んでしまうのである。
評価基準への信憑は、そのまま「正しさ」への確信と繋がっている。「私は何が正しいことか知っている」というのが、その構えの正体なのである。
阿波師範が弓道に於いて述べているのは、その全く正反対のことである。力で弓を引いてはならず、矢を意図的に放してはならず、的を狙ってはならない。そのような「不自然なこと」「理屈に合わないこと」を師範が要求するのは、射手が「私は何が正しいことかを知っている」と思いこむようになることを、構造的に妨害するためなのではないか。正しい姿勢で弓を構え、ごく自然に的を射抜くことが出来るようになってはゆくのだが、それがどうも「私が上達したから」ではなく、「それを誰かが射させて下さるから」であるような気がしてならない。そのような事態を引き起こすために、わざわざ「評価を求めてはならない(それを目標に修行してはならない)」という禁戒が設けられているのではないか。
ユング先生が心理治療に於いて説いておられることも、弓道と同様である。精神科医が「私は患者をどのように治療してよいか知っている」と考えるようになることこそが、心理治療では「もっとも起こってはならないこと」なのである。「私は、私の欲望を知らない」という無意識についての知見は、正しく認識されて継承されなければならない。フロイディアン達は、フロイトの没後勝手に「患者は、自分の欲望を知らないが、私は知っている」という読み替えを行って分析治療を推し進めようとしたが、ユング先生はこれに真っ向から反対した。だからこそ、ユング先生はフロイトの知見を正確に敷衍して「医師は、医師の欲望を知らない」と唱えてみせたのである。ユング先生が「成功例を参照してはならない」だとか、「治療目標を設定してはならない」などという、一見不合理にも見える禁戒を我々に課しておられるのは、ただ我々が不毛な自信に溺れてしまわぬよう、我々を構造的に妨害するためなのではないか、と不肖の弟子である私は考えるのである。
***
このように考えてくれば、音楽における「無垢」ということの有り様が、朧気ながらも見えてきたようである。
音楽に「無垢」に対する、というのは、音楽に対して「私はどのような音楽が正しいのかを知っている」という不敬な構えをとらない、ということに尽きるのであろう。つまりそれは「どのように接して良いのかはわからないが、でもできる限りのことを尽くしたい」という自分の「限界を弁えた構え」なのであり、それがつまり、音楽を「敬い/懼れる」ということなのであろう。「敬うこと/懼れること」こそが、他者に接するときに欠かせないことなのである。どうしてそれが大切なことなのか、その「理由」ははっきりと示すことは出来ない。おそらくそれは、「理由」というようなものに根差しているのではないのだろう。それはただ、人間が「他者」、つまり「人間にあらざるもの」に応接するときの「基本的な構え」に過ぎないものなのである。
人類学の教えに拠れば、人間は死者を「弔う」という行為を行うようになることによって、他の類人猿と分岐したのである。ただ「人間」だけが行い、他の動物が行わない行動は、このこと以外には存在しない。記号としての「言語」を使用する動物は、イルカ類をはじめ多数存在している。類人猿は皆、家族や共同体を形成するし、蟻や蜂のような昆虫にだって社会的行動は認められる。ある種の蟻は農耕を行うし、類人猿は道具だけでなく「火」を使うこともできる。ただ一つ、死んだ同胞を弔い、墓を作る、という行動だけが、人間以外の生物では観察できないのである。人間は、死者が帰ってくることを懼れ、それを敬って遠ざけるために墓を築くようになった。見えないものを「敬い/懼れる」能力を手に入れることによって、人間は人間になったのである。そういう意味で、「敬う/懼れる」ことこそが、恐らくは人間という生物の「本義」なのである。
だから、音楽というものに対して人間に出来ることは、ただそれに「敬意/懼れ」といったものをもって接することなのである。「敬意/懼れ」があるときには、人は音楽を目的語として語ったりしない。人が「自分を主語」とし、音楽をその目的語として語りはじめるとき、人はその「敬意/懼れ」を忘れているのである。
「私らしく演奏したい」
「私の理想とする演奏を目指したい」
「演奏を通して私を表現したい」
そのようなことを言い募るとき、音楽は私にとってただ「享受されるもの」に成り下がっている。そのような音楽ならば、人は自らコントロールし、それを分析したり知解したり出来るし、それに基づいて評価したり、賞賛したりすることだって出来る。人間が人間同士の間で遣り取りするだけなら、そのような音楽であるほうが、むしろ人間にとって扱いやすい、とさえ言えるのかもしれない。
しかし、そのような音楽からは、決してその人を根元から揺さぶるような「感動」は得られない。敬意と懼れをもって接することを忘れたとき、音楽は人間にとっての「他者」ではなくなってしまうからである。
今回は「無垢な構え」というものについて、弓道における「無心(無私)の構え」との対比に於いて検討を加え、何とかその具体に迫ろうと四苦八苦してみた。次回は、その「無垢な構え」をとることが、具体的にはどのような素晴らしい(凄まじい)音楽体験を生じせしめるかについて、具体に語ってみることにしたい。
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