僕がホルンを買った理由(3)〔堀 真典/1994.12.11〕
〜あれは、九月末の嵐の前の日だった。
つい、ふらふらとホルンを買ってしまったのは。〜
ところで吹奏楽部のほうは、順当に県コンクールを突破していた。そんなこんなで、しっかりでもなく適当に勉強していた僕に、前述した同い年のホルン吹きがある話を持って来たのは、丁度その頃だった。そいつがいうには、ブラスバンドの関西コンクールと、そいつのホルンの合宿が重なってしまったのだという。そこで、おまえホルンで関西コンクール出てくれ、とまあそういう話なのである。もちろん、待ってましたとばかりに僕がその話にのっかったのはいうまでもない。わずか一週間ではあったが、僕はホルンと再会した。そしてまた、僕は受験勉強とクラブ活動の狭間で、ホルンに「親との約束を破る」ということを教わったのであった(そんな訳はない)。
そのようにして、再びブラスバンドにはまりこんでしまった僕だが、関西コンクールも終わって、受験勉強に一度は舞い戻った。しかし、久し振りに楽器を吹いたことで、また楽器に対する欲求が高まってしまった僕は、推薦入試という手を使ってクラブに復帰することを思いついた。その頃の僕はまずまず成績だって良かったのである。そこで、まず某中央の大学の校内選考を受けてみた。しかし、あえなくバレー部の主将に競り負け。少々ジャンプ力が足りなかったようだ(うそ)。次は某関西の大学にしてみようか、と思っていたところに、夏休みの終わりにあった某河合の塾の模試の結果が帰ってきた。たいした勉強もしていないというのに、これが結構良い成績であった。これで僕の心は決まった。勉強はもうえーわ。ラッパ吹こ!定期演奏会の十日前のことである。凄く迷惑な奴である。申し訳ない。
そんないい加減なことをしながらも、受験制度がごちゃごちゃしている隙をついてうまく大学に潜り込んだ僕であったが、あいかわらず音楽にはあまり興味はないままであった。その僕の前に、ブラスを続けるか、それともオケに入るのかという二つの選択肢がころがっていた。ブラスは週三回の練習で土曜練習もあったのに対し、オケは週二回、土曜日は休みであった。その上ブラスのほうには出欠チェックまであったのだ。小学生じゃあるまいし。クラブの雰囲気などもあわせて冷静に考え、僕はオケに入部することになる。入学式の時に、和歌山でかつてのライバル校(いつも負かされていた)のブラスにいた、知り合いのトランペット吹きのかわいい女の子と話して、その女の子が「私はオケに入る」といったこととは関係がないはずだ。
やっとトランペット吹きとして身を落ち着けることになるのかと思えば、そうはいかない。オーケストラでは四年間で春夏あわせて七回の合宿があった。その最終日に恒例行事として回生オケというものをやる。各一〜四回生に別れて曲を演奏するのだ。と、なると各回生によってパートの人数にはどうしてもばらつきが出てくる。僕の回生ではパートとしてはファゴットが途中からいなくなってしまったのと、トロンボーンがいなかったことを除けば、あとはOKなのだが、トランペットが三人もいたのに対して、ホルンは途中から一人だけになってしまった。そのアンバランスがまた僕をふらふらさせてしまう。
一回生の夏は某浦野君が一回生オケの指揮をしたので、僕は順当にトランペットを吹いた。一回生の終わりの春合宿では、僕自身が回生からの指揮者として選ばれて、そのお披露目に回生オケを指揮した。しかし、そのほかの四回の合宿では、某浦野君に追っ払われてホルンを吹くことになるのであった(一回足りないのは、思い出すのも腹立たしいが、合宿中に大量の食中毒者が出て回生オケが中止になったからである)。別に同回生のその女の子のホルン吹きがかわいいので、自らすすんでひょこひょことホルンを吹きにいった、ということはないと思うのだが……
なんとまあ、ふらふらとホルンとトランペットの間をうろついているのだろうか!どっちも好きなのである。(つづく)
(アンサンブル通信 1994.12.11/第42号より)
