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良い演奏を求めて 18〔大石 聡/1994.11.06〕

 NHKの衛星放送をつけると、どこぞのオーケストラがチャイ5の第一楽章を演奏していた。すぐに第一楽章は終わり、第二楽章が始まった。あの低い、地の底から呼ぶような低弦の響きが聴こえてくるのだが、それがはっとするくらい美しい音色だ。びっくりして手に持ったリモコンを置き、続くホルンのソロに聴き入ったのだが、これがまた目茶苦茶に上手い。音色が深く、静かに呼吸するような自然なメロディの流れだ。なんなんだ、こりゃ一体どこのオケだ、と思う間もなく、画面がオーボエに切り替わって見覚えのあるシュレンベルガーの顔が映った。ベルリン・フィルの来日公演だったのだ。

 しばらくは、その余りの上手さに溜め息をつきながら鑑賞してしまった。何ということのない弦楽器の一節が、嫌になるくらいゴージャスに聴こえてしまう。全員がただ合っているのではなくて、まったく同じように唄っているのだ。ここまで来れば馬鹿でかい弦楽四重奏団みたいなもんである。管楽器もただ上手いのとは訳が違う。シュレンベルガーも上手いが、ファゴットの響きの深いこと!ヴィヴラートもあれだけ絶妙にかけられたらそれだけで一つの芸にまで高まっている。

 以前にCDで、小澤征爾率いる斎藤記念オーケストラが演奏するチャイコフスキーの弦楽セレナードを聴いたときに、その異様なまでにピッチの揃った弦楽器の澄んだ響きを聴いて、ここまで上手ければ、上手いということ自体が一つの芸の高みに達しているな、と思ったことがある。同時にこれだけの合奏は日本人の几帳面さでなければ達成できないかも知れない。もしかするとその意味では匹敵するもののないオケかもなあ、と思ったりもしたのだが、残念ながらヨーロッパの一流オケの上手さと比較するとやはり「上手さの桁」が一桁違うようだ。ピッチではない。ヴィヴラートも、唄い回しも、楽器の響かせ方も、とにかく楽器を取り扱うというレベルで考えられることの全てが一つに揃っている感じだ。「上手い」ということのクオリティが違うのだ。

 あまりの上手さにひたすらため息のまま第二楽章が過ぎてしまったが、しかしそのため息もほんの10分少々しか続かなかった。人間というのはなんという贅沢な生き物であろうか。どのような甘美な快楽であっても、それが快楽の範疇にとどまる限り慣れが生じるのを避ける事は出来ないのである。僕はあっというまにベルリン・フィルハーモニーの上手さに飽きてしまった。そしてそうなってみると、その演奏は実になんということもない演奏だった。なんということもない、という以外に、どのようにこれを表現すれば良いのだろう。とにかく上手い。うっとりするような上手さだ。感心して拍手する。でも……、それだけだ。何も残らない。

 第三楽章が過ぎ、あの白々しくも盛り上がりを見せる(僕は嫌いなのだこの楽章が)第四楽章に入ると、その演奏の空虚さが一気にあらわになるようだった。流麗で音はでかいが、何の迫力もない。無理もない。何が可笑しいのかだらしのない笑みを浮かべてせわしなく棒を振るうクラウディオ・アバド。その顔を見ながら迫力のある音が出るわけもない。別にアバドに恨みはないが、これだけ性能のいいオケが、くだらない音楽をやたらに上手に演奏しているのを見ると、ついそのだらしなく下がった目尻にすら腹が立つ。もっとも指揮者のせいばかりにするのも可哀想だ。ベルリン・フィルの追求しているあの心地よさは、結局のところ感動には結びつかない種類のものなのかも知れない。哀しいことだ。

 何号か前に「行ってきました演奏会」に朝比奈/大フィルのチャイ5を書いた。あのずっしりとした演奏の重い響きを未だはっきりと思い出せる。大阪フィルハーモニーはお世辞にも「上手い」とは言い兼ねるオケだ。勿論上手でない訳ではないのだが、少なくともベルリン・フィルハーモニーのあの「上手さ」とは較べるべくもない。斎藤記念オーケストラや、東京のいくつかのプロオケのようなきめ細かな上手さもない。

 しかし、このローカルオケはいざ朝比奈と組むと実に凄まじい音を出すのである。朝比奈は最近になって新日本フィルなどの東京のオケと組んでレコードを出すようになったが、そのどれもが大フィルよりオケそのものは「上手い」と思われるのに、演奏の凄絶さ、響きの強靱さという点になると大フィルに一歩遅れをとっているように僕には思えてならない。「上手さ」というのは一体何なのだろう?僕はこうしてまた「上手さ」というものに対して懐疑的になってしまう。

 ベルリンフィルと大フィル、この二つのチャイ5の質の違いを「指揮者の差」として見るのは間違いではない。しかし、朝比奈がベルリンフィルを振ったとしても、果たしてその演奏は大フィルのそれを超えられるのだろうか?オケの「上手さ」というものは、本当に一筋縄ではいかないものだ。上手くなろうと思い、上手さに憧れるとき、その「上手さ」というものの不思議さについて、僕はいつもこんなふうに迷いを隠せないでいる。

(アンサンブル通信 1994.11.06/第38号より)

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