良い演奏を求めて 17〔酒井容子/1994.10.22〕
初めての祝日練習の次の日、母校の文化祭でオーケストラ部の後輩達が演奏するというので、あっちゃんと私は聴きに行ってきました。
演奏について書く前にこのオーケストラ部自体に触れておくと、今はオーケストラ部という立派(?)な名前ですが、金管及びベースは存在せず、私たちが卒業するまでは室内楽部というのがクラブ名でした。さらに遡って、私たちが高一で入部した当時は全クラブ員15名と、ほぼ今のアンサンブル・フロイントと同じくらいの大きさでした。しかしその次の年に中学部のほうの器楽部と合併したのを機に毎年新入部員がねずみ算方式で増え、今や約70名の大所帯となりました。
さてこのようなオーケストラ部の演奏ですが、これが一言で言ってすごかった。この一言に尽きます。一体どこがどうすごかったんだ、といわれると私の拙い文章でわかつて頂けるかどうか少々不安ですが、とにかく舞台で演奏している一人一人全員がすごく一生懸命で、そして私にはここが一番大事なところだと思えたのですが、とても楽しそうだったのです。
私達がいた頃とは比べものにならないぐらい、クラブ全体の技術が向上していましたが、向上したといってもはっきりいってたかが知れた程度です。小さな頃から習っていてとても上手な子もいることにはいますが、私みたいなレベルの子がウヨウヨいると思って頂ければ良くわかってもらえるのではないでしょうか。そんな子達が、ビゼーの「カルメン」から“前奏曲”と“ハバネラ”、「アルルの女」から“メヌエット”と“ファランドール”を止まることなく演奏するだけでもすごいと思ってしまいますが、その演奏が本当に「いい演奏」だと私には思え、演奏が終わったとき思わずもう少しで「ブラボーおやじ」ならぬ「ブラボー娘」になってしまうところでした。
このアンサンブル通信で、何度もいろいろな方が「いい演奏」について書かれていましたが、私はまだ皆さんの様にはっきりこれが「いい演奏」というのがわかりません。ただ後輩達の演奏を聴いていて唐突に「いい演奏」だと思えたのです。前に“驚異のアンサンブル”といわれるプロのオーケストラのCDを聴いて、どこがいいのかさっぱりわかりませんでしたが、それは私にとっての「いい演奏」ではなかったからだと思います。つまり私にとっては、技術的に驚異的であろうが、奇跡的であろうが、その演奏者が楽しんでいなければ「きれいなだけでつまらない演奏」であって、チューニングすら合っているのかどうかも怪しい、別の意味での“驚異のアンサンブル”でも、演奏者が楽しんでいれば「いい演奏」なのだと思います。
このように書くと、まるで技術は「いい演奏」の邪魔物のようですが、もちろん私だって技術は必要だと思いますし、心の底からうまくなりたいと思っています。ただ私にとっては、技術があるだけでは「いい演奏」とは思えないのです。だからたとえ観客の生徒がうるさかろうと、そんなことは一切おかまいなしに楽器を弾けるということが、また、みんなで曲をつくりあげることが楽しくてしかたないといった表情で演奏できるということが、「いい演奏」なのだと思えます。同時に、技術がなくても“音楽をする”、すなわち“音”を“楽しむ”ことはできますが、逆に技術はあってもそういう “心”がなければ、それは単に修練でマスターする体操の“技”と同じで、“音”を“楽しむ”という“音楽”ではないのではないか、とも思いました。
(アンサンブル通信 1994.10.22/第36号より)
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