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良い演奏を求めて 13〔大石 聡/1994.09.03〕

 今までに僕は、何人の指揮者の元で、一体何回ぐらい演奏した事があるのだろう?よく合奏の経験が無い人に「指揮者ってあれ何してるん?」「さんはい、で始めてもうたら必要ないんちゃうん?」等と尋ねられることがあるけれども、オーケストラに於いて指揮者がどのように必要なのかを上手く納得させるのは難しい。指揮者によってどれだけ演奏が変わってしまうか、指揮者の一寸した動きでオケの出す音がどんなに変わってしまうか。こればっかりはやってみてもらわないことには、どうしても分かりっこ無い。

 市大オケでは追いコン(卒業生の追い出しコンパの事。泊まり掛けの合宿形式で行われる)で、卒業生全員が順番に指揮台の上に立ち、後輩達のオケで好きな曲を振ることが許されていた。これは非常に面白い企画だった。同じサークルの中で日頃からその人柄もよく分かっている人達の指揮姿が見れるのだ。結局音楽というのはその人の人間性の表現であるという事実が、拙い指揮姿からはっきりとわかる。好きな曲を振るだけに思い入れもたっぷりだ。僕は追試にひつかかったせいで肝心の自分が振るべき時に参加し損ねてしまったが(こういうのを自業自得と言う)、今でもこの追いコンを学生時代の最も楽しかった瞬間として度々思い出す。

 こうして日頃棒を振ったことの無い、いわば指揮者素人達の指揮で演奏した後で、本職(?)の学生指揮者の棒に改めて接してみると、彼等がいかに巧みにオケをコントロールしているかよく分かる。それは楽器を操作するのと同様、いやそれ以上にはるかに難しいテクニックなのだ。楽器を演奏するのはあくまで一人の人間が声を上げ、歌うことの延長線上にある作業だ。しかし指揮はそうではない。棒そのものは歌わないし、リズムも刻めない。しかし、その激しい動きが、表情が、息づかいが、空気以外のものを通って演奏者の体に伝わり、その動きを微妙に支配する。素晴らしい指揮者の指揮で演奏すると、体がまるで勝手に動いているかの様な錯覚に陥ることがある。その感覚は体験する以外に伝えようの無い種類のものだ。

 京都の柳月堂によく行っていた頃に知り合った人達の中に、「気」の研究をしているという一寸変わった娘がいた。美人なのだが一寸目が据わっているかなぁと思っていたら、「気」を養う道場に通っているとかで、成程と思ったものだ(僕はてっきり宗教関係かと思ったのだが)。店にいた何人かと一緒に飲みに行った時にこの人が来ていて、いろいろと「気」の話を教えてくれたのだが、彼女の説によると指揮者がオケをコントロールするのもこの「気」によるのだということだった。彼女はコンサートでは必ず前のほうに陣取り、専ら音よりも、指揮者の発するところの「気」を(彼女が言うには風のように感じられるらしい)楽しんでいる様子だった。レコードじゃ駄目なのかと言うとそうではなくて、スピーカーを通してもちゃんと「気」が伝わると言う。但しこれは装置次第で、良いオーディオ装置とは「気」が伝わるものなんだそうである。彼女は家では台湾製の古いラジカセを愛用しているようだったが、柳月堂の真空管アンプは実に「気」を忠実に再現すると誉めていた。僕は面白いのでいろんな指揮者の「気」の質について彼女に尋ねてみたのだが、朝比奈先生の「気」は大変「おおらか」で良いと彼女は誉めていて、我が意を得たりと思ったものだ。小林研一郎の「気」は圧力はあってもやや薄い(?)そうだ。井上道義の「気」は「臭う」そうで顔をしかめておられて、これは笑えた。

 でも確かにコンサートに行っていて、指揮者の発する「気」のようなものを感じることはある。印象に残っているところではブリュッヘンに生で初めて接したときのハイドン(交響曲第104番、ロンドン)が凄かった。古楽器オケの指揮者は特に動きが小さく、息遣いのようなもので合わせる傾向が強いが、彼のは正に「気合い」で合わせるって感じの指揮だった。「ハッ」と風圧のようなものが舞台から吹いてくる感じだ。あれが彼女の言う「気」かどうかは僕にはよく分からないが、指揮者の発するものが団員に伝わるというのは、そうした不可思議なものに依っているのに間違いないだろう。

 僕自身の経験に於て最も鮮明にその感覚が残っているのは大学四回生の時、堀君が指揮してチャイコフスキーの一番交響曲を演奏したときのことだ。初めてのメイン曲のトップ奏者として僕は緊張し切っていたし、長いソロはあるしで、第四楽章にたどり着いた時にはもう疲れ切っていたが、終楽章の暗い序奏が終わったときに演奏会場全体にフワッと彼女の言う「気」のようなものが満ちたような気がした。その瞬間に、確かにさっと体に力がみなぎった。後のことは頭の中が真っ白くなってしまってよく覚えていないが、とにかく気持ちが高揚して、パッと何かか弾けるような感じがしたのは覚えている。みんな興奮していた。あの時の満足感には残念ながら二度と出会っていない。とにかく指揮者と合奏というのは不思議なものだ。

(アンサンブル通信 1994.9.03/第31号より)

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