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良い演奏を求めて 12〔大石 聡/1994.08.20〕

 「疾走する哀しみ」という有名なフレーズがあることは知っていた。しかしモーツァルトのト短調交響曲を聴いた時にはそのフレーズはもう一つピンと来なかった。くすんだビオラの細波に乗って始まるあの曲は、全体に暗い情熱の様なものに支配されていて、それが重く淀んでいた。「疾走する」感じはそこにはなかった。「哀しみ」という語感にふさわしい透明感もなかった。それはもっと直接的な「悲しみ」のように聴こえた。

 しかし、カール・シューリヒトの指揮した「プラハ」を初めて聴いた時に、僕の中にあのフレーズが突然蘇った。重々しく長い序奏に続いて第一楽章の主部がそっと走り出す。序奏の暗闇と激しいコントラストをなす第一主題のまぶしさ。それはまさに青空に虹が溢れるような光に満ちた世界だ。シューリヒトはそっと走り出すと二、三度オーボエに押さえた喜びの声を上げさせて、その後は堪えかねたように激しくオーケストラをあおる。パリ・オペラ座管弦楽団は現代の一線オケから見るとかなりアンサンブルの雑な、また地味な音色の目立たない感じのオケである。そのオケが硬質の、不思議に澄んだ音色を響かせながら、シューリヒトに導かれて飛ぶように走る。考えられないようなスピード感の中に、虹を巻き散らしていくような美しい旋律が目まぐるしく現れては消えて行く。

 その時僕は一瞬眼の眩んだような感じを味わった。そして突然「疾走する哀しみ」というあのフレーズを思い出した。そうか、これだ、と思った。たとえようの無いまぶしさ、明るさに溢れていながら、そのシューリヒトの「プラハ」には何とも言えない「哀しさ」が宿っていた。それは笑顔の哀しさだった。何かをこらえて微笑んでいるものの哀しさだと、そう思った。オーケストラはまさに疾走しながら、その一瞬の明るい音楽の中で、悲痛なほど必死に歌っていた。悲しくはなかった。ただその必死さが胸を打った。本当に透き通るような「哀しみ」だと思った。

 それから、その「疾走する哀しみ」を求めてシューリヒトを追いかけた。どのレコードの中でも、どのオーケストラを振っていても、不思議とその全てから同じ音が聴こえた。何かガラスを思わせるような硬質の弦楽器の響き、素朴で、それでいて計算され尽くした木管楽器の出し入れ、そして水の流れるように淀むことの無い音楽の流れ。一見明朗で、自然に聴こえるようでいて、良く聴くと彼の音楽は閃きに満ちたものだった。「職人」「名人」等と呼ばれる彼の音楽づくりの一面が驚きをもって僕を感動させた。宇野功芳が「本当に眼の眩んだ」と驚きをもって記していた、パリ管弦楽団とのベートーヴェンの八番交響曲の第四楽章に於けるリズム変更も素晴らしかったが、パリ・オペラ座管弦楽団と組んだモーツァルトのト短調交響曲で、クラリネットを含むバージョンとオーボエのみのバージョンを絶妙に組み合わせて効果を上げている様をスコアを見ながら発見したときの驚きが未だに僕は忘れられない。

 一方でライブ盤などにまで手を出し始めてみると、シューリヒトが結構本番で失敗の多い演奏家であった事が分かってこれも面白かった。「プラハ」が一見雑なように見えて、実は全く手を加える余地の無いほど完成された演奏であるのに対して、シューリヒトは不自然なほど人工的な味付けをして曲の姿を壊すようなことも良くやっていた様だ。しかし、そうした「失敗」もシューリヒトの貴重な個性だった。彼は思い入れが溢れてしまうと極端に棒が遅くなる癖があったようだ。曲の途中で自分の好きな個所にさしかかると、彼は一心に気持ちを込めようとする。するとどんどんテンポが遅くなる。結果として取り返しのつかなくなるまでテンポが落ちて、立ち直れなくなって後をごまかしてしまうというシーンがライブの中で何度かあった。しかし、この「一心に好きな個所を振るうちにずるずるとテンポが落ちる」様というのは、胸が締め付けられるような味わいのあるものだ。ウィーン・フィルと組んだベートーヴェンの交響曲第一番の第三楽章のトリオの部分などを聴くとこの雰囲気が良く分かる。しかもこの場合はシューリヒトは見事に自制することに成功していて、ぐんぐんテンポが遅くなった後、主部にリピートする時にさっともとのテンポに立ち直ってみせるのが素晴らしい見ものである。

 しかし、なんといっても僕がシューリヒトに魅かれるのは、やはり彼の音楽に満ちるあの「疾走する哀しみ」なのだと思う。彼のディスクを必死に集めていくうちに、ぼくは彼の音楽の実現している「あれ」が僕の理想とするものなのだろうと確信するようになった。しかしどう考えてもそれは僕のやっているようなアマチュアの音楽活動の中から生まれてくるものではないような気がした。彼の演奏はどれもお手本にならなかった。それは真似することさえできないような代物だった。それはなんと哀しいことだろう。それとも手の届かないものだからこそ理想となりうるのだろうか?

 彼を巡る旅の殆ど最後の辺りで、僕は彼が最晩年に指揮したバッハのブランデンブルグ協奏曲に出会った。それは何ともいえない静けさに満ちた演奏だった。そこにはもはや彼が若い頃に見せた閃きも、胸を締め付けるような思い入れも、名人といわれた冴えた工夫も、何もなかった。僕はそれを聴きながら秋の草原を想像した。夏の間生い茂っていた草むらも柔らかい枯れ色に変わって、そこにひっそりと秋の弱い陽が射している。秋の空は高く澄みわたり、全体としてそれは明るく暖かい光景だった。平和で安らぎに満ちていた。しかし、そこに鳴り響く音楽を聴いていると、いつのまにか涙が溢れ、哀しさが体に満ちていた。光の中に彼の笑顔が見えるような気がした。快い哀しみだった。

(アンサンブル通信 1994.8.20/第30号より)

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