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[音楽探訪] ブルックナー/交響曲第7番ホ長調〔大石 聡/1994.5.14〕

 そんなに系統的に西洋音楽を聴いているわけではないので大層なことは言えないが、僕の知っている範囲の作曲家の中で一際独創的で、しかも本質的に重要な存在と言えば、三人の名前が浮かぶ。即ち、J.S.バッハ、L.V.ベートーヴェン、そして、このアントン・ブルックナーである。バッハの音楽は多くの人が指摘するように、西洋音楽の大きな転機点に位置している。人間が「神」という絶対的な存在のもとで暮らしていた時代の最後の偉大な作曲家、それがバッハだった。その後、啓蒙主義のもとで人間という存在の絶対化が進行していく中で、「人間自身」の声で初めて永遠の高みに達したのがベートーヴェンだった。その後マーラーに至るまで、全ての作曲家は一人の「人間」という絶対的な存在として曲を書き、表現してきた。でも、ブルックナーは違う。その音楽は、もはや人間の声として歌われていない。いくつものモティーフは何の脈絡もなく、ふと現れて、また消えていく。初めて聴く人間にとっては、それはまるで音楽の姿をした「ノイズ」のように聞こえるかも知れない。しかも、それは例えば印象派の音楽のように、「情感」や「ムード」といったものに訴える音楽でもない。ブルックナー・ファンいわく、「大宇宙の息吹きそのもの」「空中に描かれた思想の迷宮をさまようような」「大自然の中での逍遥だよ」などなど…。ちっとも分からないと思われる方も多いと僕は推察する。僕だってそうだった。そりくらい異質で、非連続的な、ちょっと聴くと単調な、起承転結の無い、まあ退屈な音楽だと僕も思った。だから、どんなふうにブルックナーの音楽を伝えて良いものか、自分でも良くわからない。僕にとっての本当のブルックナーとの出会い、それがこの七番の交響曲だった。カール・シューリヒトがハーグpo.を指揮していた。ブルックナーの交響曲の中では最も角のない、なだらかな曲想の音楽である。大好きなシューリヒトの演奏で聴き、僕はこれが音楽という抽象的な鏡に映し出された、美しい自然の姿なのだと突然理解したように思った。

(アンサンブル通信 1994.5.14/第22号より)

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