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[音楽探訪] J.S.バッハ/ロ短調ミサ曲〔大石 聡/1994.4.23〕

 バッハの音楽を手に取ろうとする時の、あの「ためらい」は一体なんなのだろうか?僕にとってのそれはまず宗教だった。バッハが西洋音楽史上最も重要な宗教作品の作曲家であることは誰でも知っている。だからキリスト教に縁の無いものはどうしても考えてしまうのだ。「自分に果たして宗教音楽がわかるのだろうか?」と。

 それでも僕はグールドのおかげで、既に「パルティータ」「フランス組曲」といった鍵盤楽器のための器楽作品や、「ブランデンブルグ協奏曲」などの比較的宗教とは縁のなさそうなバッハ作品には既に出会っていたし、それらのことが大変好きになっていた。それでもその先に進むこと、即ち宗教作品に進むことについては大いに抵抗があったのだから、それらの作品さえ知らない人が、バッハの宗教作品について、どんなふうに思うかは大体想像がつく。

 僕が「カンタータ」「受難曲」「ミサ曲」といった宗教曲に対して抵抗感を持っていたのにはもう一つの大きな理由があった。それは合唱である。みなさんはクラシックの合唱というと何を思い浮かべるだろうか?僕はどうしてもオペラのそれが浮かんでしまうのだがどうだろう?あのヴィブラートたっぷりの、キンキンするオバサン声は僕はどうしても好きになれなかった。もちろん時々NHKに出てくるママさんコーラスは生理的に体が受け付けなかった。でもこの国では合唱というとあれしか思い浮かばない人だってたくさんいるはずだ。大学に入ってから聴きに行ったグリー・クラブや、混声合唱団のコンサートも正直云ってうんざりした。合唱をやっている人には申し訳ないのだが、僕は「あれは音楽とは少し違うものだ」とさえ思っていたのだ。

 そうした合唱へのマイナスイメージが、合唱曲を敬遠させる大きな理由になっていた。それにもかかわらず、僕が二枚組六千円もするこの「ロ短調ミサ」のCDを買ったのは、ひとえに指揮者であるF.ブリュッヘンのファンだったからだ。

 この曲から得た感動の大きさについては言葉では語れそうもないのでここでは詳しくは語らないが、この演奏は、バッハの宗教曲に対する僕の謂れの無い敬遠を打ち砕くだけの、本当に素晴らしい演奏だった。合唱には特に驚いた。古楽器のノン・ヴィヴラート奏法に対応する、すっきりとした発声。オペラのように大声を張り上げるために喉に負担をかけるのでなく、頭の先から抜けるように澄んだ声を出す独特のテクニック。完璧なハーモニー、そして俊敏で陰りの濃いアクセント。正にここでの合唱は器楽のレベルを超えている。僕の合唱に対する偏見は一掃されてしまった。

 もう一つの問題点、即ち「宗教を信じなくてもバッハはわかるのか」という点についてはどう云ったらいいのか良くわからない。少なくとも一度聴いてしまえば僕にとってはそんな事は問題でも何でもなくなってしまった。考える前に既に僕は感動してしまっていた。しかし、敢えて一つ云うとするなら、この作品は断じて宗教的でありながら、同時にそうしたものを超えていると僕は思う。音楽は抽象的なものだ。「人の罪と神の許し」といった、言葉の具体的なメッセージとしては何の感動ももたらさないような事柄についても、音楽はただ「感動」という人間の心の動きそのものをダイレクトに伝えてしまう力がある。キリスト教の「教義」には僕も感動しない。しかし、バッハにとっては現実であった「神による癒し」が、バッハの音楽によってまるで現実のものであるかの様に僕にも伝えられる。それが素晴らしい。

 皆さんの内の誰かがこれを読んで、いつか偏見を捨ててこの曲に親しむことを、この曲の一ファンとして願っている。

(アンサンブル通信 1994.4.23/第21号より)

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